かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜

同程度に育った草を両方とも育てたら、どちらも枯れてしまう。恋愛において、それは「二股」である。二兎を追う者一兎も得ず。例を挙げたらきりがない。片方を切り捨てなければならない冷酷さも時には必要なのではないか。非常に残酷な話ですが。
やす菜が他人を認識できなくなったのも、とまりが追い詰められているのも、すべてははずむの優柔不断さにあるのではないか。どちらも失いたくないという彼女(彼?)の甘ったれた考えにあるんだろうか。
とまりがやす菜のところに行くように行ったのは、「好きだから」なんだと思う。はずむがやす菜のことを好きでも、応援したい。力になりたい。だから行けと言った。でも彼女はまだまだ10代。そんな冷酷なことなんて、出来るはずもない。
やす菜の「他人が見えなくなる」というのは、あかほり氏が「他者とのコミュニケーション能力の低下」を暗に警告している気がしてならない。人間をただの物体としてか認識できなくなる。宇宙仁氏の発言に原作者の本音を垣間見た。
ここからは俺の持論ですが、恋愛とは素晴らしきものである。今まで非日常だったことが日常へと変わり、日々の無味乾燥な生活に潤いを与えてくれる。そして、自分の心の中で、「何かが変わった」ような気がする。だから、「恋をしている人は綺麗」というのもあながち間違いでないと思う。
てか、「人間は子孫を残すために生きている」っていうのもウソじゃないし…笑。